嵐山 捨吉(あらしやま すてきち、安政6年(1859年) - 明治43年(1910年)10月4日)は、越前国足羽郡(現福井県福井市)出身の元大相撲力士。本名は佐々木 捨吉(のち八太夫)。京都相撲(松ヶ枝部屋)から東京(藤嶋→伊勢ノ海→千賀ノ浦)を経て最終的には小野川部屋(大阪相撲)所属。最高位は東京では小結、大阪・京都では大関を務めた。
嵐山 捨吉(あらしやま すてきち、安政6年(1859年) - 明治43年(1910年)10月4日)は、越前国足羽郡(現福井県福井市)出身の元大相撲力士。本名は佐々木 捨吉(のち八太夫)。京都相撲(松ヶ枝部屋)から東京(藤嶋→伊勢ノ海→千賀ノ浦)を経て最終的には小野川部屋(大阪相撲)所属。最高位は東京では小結、大阪・京都では大関を務めた。