崔林(さいりん、? - 244年)は、中国後漢末期から三国時代の政治家。魏に仕えた。字は徳儒。冀州清河郡東武城県(山東省武城県)の人。従兄は崔琰。子は崔述・崔随。孫は崔瑋。曾孫は崔悅。三国志魏志に伝がある。晩成型の人物であり、一族からは注目されていなかったが、崔琰だけには評価されていた。曹操が冀州を制圧すると、召し出され邬の長とされたが、貧乏だったため単身徒歩で任地に赴いたという。曹操は、壷関征伐を行なった時「県令・県長の中で最も徳政を行なっている者は誰か」と尋ねた。并州刺史の張陟が崔林の名を答えたため、崔林は曹操に注目され、主簿に採り立てられた。やがて別......
崔林(さいりん、? - 244年)は、中国後漢末期から三国時代の政治家。魏に仕えた。字は徳儒。冀州清河郡東武城県(山東省武城県)の人。従兄は崔琰。子は崔述・崔随。孫は崔瑋。曾孫は崔悅。三国志魏志に伝がある。晩成型の人物であり、一族からは注目されていなかったが、崔琰だけには評価されていた。曹操が冀州を制圧すると、召し出され邬の長とされたが、貧乏だったため単身徒歩で任地に赴いたという......