崇禎帝(すうていてい)は、明朝第17代(最後)の皇帝。諱は由検(ゆうけん)。廟号ははじめは思宗、のちに改めて毅宗(以上は南明弘光帝による)、威宗(隆武帝による)、懐宗(清による)。諡号は弘光帝が紹天繹道剛明恪儉揆文奮武敦仁懋孝烈皇帝としたが、清が荘烈愍皇帝と改めた。また清は崇禎帝を明朝歴代皇帝と同じ北京昌平山に葬り、陵墓を「思陵」とした。
崇禎帝(すうていてい)は、明朝第17代(最後)の皇帝。諱は由検(ゆうけん)。廟号ははじめは思宗、のちに改めて毅宗(以上は南明弘光帝による)、威宗(隆武帝による)、懐宗(清による)。諡号は弘光帝が紹天繹道剛明恪儉揆文奮武敦仁懋孝烈皇帝としたが、清が荘烈愍皇帝と改めた。また清は崇禎帝を明朝歴代皇帝と同じ北京昌平山に葬り、陵墓を「思陵」とした。