島津 忠冬(しまづ ただふゆ、文政10年8月9日(1827年9月29日) - 安政6年2月1日(1859年3月5日))は、島津氏今和泉家第11代当主。第10代当主・島津忠剛の子。母は島津久丙の娘・お幸。通称・三次郎、因幡。天保10年(1839年)元服し、弘化2年(1845年)成婚。父が没すると家督を継承したが、間もなく早世した。家督は弟の島津忠敬が継承した。妹に第13代将軍徳川家定の正室となった天璋院がいる。
島津 忠冬(しまづ ただふゆ、文政10年8月9日(1827年9月29日) - 安政6年2月1日(1859年3月5日))は、島津氏今和泉家第11代当主。第10代当主・島津忠剛の子。母は島津久丙の娘・お幸。通称・三次郎、因幡。天保10年(1839年)元服し、弘化2年(1845年)成婚。父が没すると家督を継承したが、間もなく早世した。家督は弟の島津忠敬が継承した。妹に第13代将軍徳川家......