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島津忠亮

推定知名度5.07%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

島津 忠亮(しまづ ただあきら、嘉永2年5月11日(1849年6月30日) ‐ 明治42年(1909年)6月26日)は、明治時代の華族。島津家支流佐土原藩主島津忠寛の長男。又之進。子爵からのちに伯爵。書を能くし、霞峰・東洋・穆山と号する。弟に大村純雄(大村純熈婿養子)、西南戦争で薩軍側につき早世した島津啓次郎がいる。島津久宝の娘・盛子を娶り、子に島津忠麿、島津健之助、阿部正寛(阿部正功養子)ら。昌平坂学問所で学び、明治2年(1869年)に留学のため渡米し、同行した平山太郎、橋口宗儀とともにボストン14区に居住(1870年時点)。明治6年(1873年)に帰国し、明治12年(1879年)、初代東京府赤坂区長に任命され、1年間これを務める。明治17年7月8日、父の忠寛の幕末での功により、子爵より伯爵に陞爵する(明治24年にこれを不服とする者から異議申し立てがなされる)。明治21年(1888年)、香蘭女学校開校にあたり屋敷の一部を貸す。貴族院議員を務める(明治24年に当選無効とされる)。明治31年、宮崎神宮の社殿造営を目的とした神武天皇御降誕大祭会を結成し、会長となる。明治42年に没し、忠麿が家督を継ぐ。墓所は東北寺(渋谷区広尾)。

過去の推移