島津 忠亮(しまづ ただあきら、嘉永2年5月11日(1849年6月30日) ‐ 明治42年(1909年)6月26日)は、明治時代の華族。島津家支流佐土原藩主島津忠寛の長男。又之進。子爵からのちに伯爵。書を能くし、霞峰・東洋・穆山と号する。弟に大村純雄(大村純熈婿養子)、西南戦争で薩軍側につき早世した島津啓次郎がいる。島津久宝の娘・盛子を娶り、子に島津忠麿、島津健之助、阿部正寛(阿部正功養子)ら。昌平坂学問所で学び、明治2年(1869年)に留学のため渡米し、同行した平山太郎、橋口宗儀とともにボストン14区に居住(1870年時点)。明治6年(1873年)に帰国......
島津 忠亮(しまづ ただあきら、嘉永2年5月11日(1849年6月30日) ‐ 明治42年(1909年)6月26日)は、明治時代の華族。島津家支流佐土原藩主島津忠寛の長男。又之進。子爵からのちに伯爵。書を能くし、霞峰・東洋・穆山と号する。弟に大村純雄(大村純熈婿養子)、西南戦争で薩軍側につき早世した島津啓次郎がいる。島津久宝の娘・盛子を娶り、子に島津忠麿、島津健之助、阿部正寛(阿......