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島津久本

推定知名度1.49%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

島津 久本(しまづ ひさもと)は、江戸時代後期から末期の薩摩藩士。都城私領主である都城島津氏24代当主。天保5年(1835年)、農業推進のため百姓寄合田の制度をはじめる。共同農地を設け複数の農家に耕させ、その収益を労役負担に役立たせようとする制度で、周王朝の井田制を手本にしたと思われる。西洋砲術を導入し、牛痘を行ったり、積極的に産業の育成に努めたりした。藩主島津斉彬より東目海岸防御総頭取(大隅半島の沿岸防御指揮官)に任じられた。安政3年(1856年)、息子の久静に家督を譲ったが、久静は島津久光の命で上京した際に病死した。新たに当主となった孫の久寛はまだ幼かったため、再び久本が政務を見た。そのため、幕末の都城を取り仕切ったのは事実上久本といえる。ひさもとCategory:幕末薩摩藩の人物Category:1803年生Category:1868年没

過去の推移