島原 純豊(しまばら すみとよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。有馬氏の家臣。肥前国浜の城主。有馬氏の一族である島原氏は、南北朝期の観応3年/正平7年(1352年)に、南朝方として行動し、戦国期には有馬氏に従い、肥前高来郡(島原半島)に勢力を持っていた。ルイス・フロイスの『日本史』によると、島原純茂は有馬家中で西郷純堯と共に「同国の最も身分の高い殿の内の二人」に数えられていた。純豊は永禄6年(1563年)、浜の城近隣の高台を宣教師に与え、時期は不明だが、キリスト教を巡る有馬家中での対立で古賀越中守を暗殺した。天正6年(1578年)1月、有馬氏討......
島原 純豊(しまばら すみとよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。有馬氏の家臣。肥前国浜の城主。有馬氏の一族である島原氏は、南北朝期の観応3年/正平7年(1352年)に、南朝方として行動し、戦国期には有馬氏に従い、肥前高来郡(島原半島)に勢力を持っていた。ルイス・フロイスの『日本史』によると、島原純茂は有馬家中で西郷純堯と共に「同国の最も身分の高い殿の内の二人」に数えら......