岡島 冠山(おかじま かんざん、延宝2年(1674年) - 享保13年1月2日(1728年2月11日))は、近世の儒学者。長崎(肥前国)生まれ。初名は明敬、のち璞(はく)。字は援之、のち玉成。通称は弥太夫、長左衛門。始め萩藩の通訳。のち退いて林鳳岡に朱子学を学ぶ。江戸で下野足利藩主戸田忠囿に仕え、辞して大坂に行き、再び江戸に帰り、京に移り没した。唐話に通じ、荻生徂徠と親交があり、『水滸伝』など白話小説の翻訳や唐話の研究を行った。
岡島 冠山(おかじま かんざん、延宝2年(1674年) - 享保13年1月2日(1728年2月11日))は、近世の儒学者。長崎(肥前国)生まれ。初名は明敬、のち璞(はく)。字は援之、のち玉成。通称は弥太夫、長左衛門。始め萩藩の通訳。のち退いて林鳳岡に朱子学を学ぶ。江戸で下野足利藩主戸田忠囿に仕え、辞して大坂に行き、再び江戸に帰り、京に移り没した。唐話に通じ、荻生徂徠と親交があり、......