岡上 景能(おかのぼり かげよし、1626年?-1687年)は、江戸時代前期の武士。武蔵(むさし)児玉郡高柳村(現在の埼玉県本庄市)の農家白井家に生まれる。岡上家の養子となる。養父景親の跡をついで幕府代官となり、寛文8年足尾の銅山奉行をかねる。越後(えちご)(新潟県)魚沼郡、上野(こうずけ)(群馬県)新田郡笠懸野(かさがけの)などの用水路整備や開墾に尽力した。用水路建設の費用に年貢米を流用してしまったなどの理由により江戸に召喚され、その道中の1687年(貞享)4年12月3日、駕籠の中で切腹し死去した。通称は次郎兵衛。上野笠懸野の用水路は今でも岡上用水と呼ば......
岡上 景能(おかのぼり かげよし、1626年?-1687年)は、江戸時代前期の武士。武蔵(むさし)児玉郡高柳村(現在の埼玉県本庄市)の農家白井家に生まれる。岡上家の養子となる。養父景親の跡をついで幕府代官となり、寛文8年足尾の銅山奉行をかねる。越後(えちご)(新潟県)魚沼郡、上野(こうずけ)(群馬県)新田郡笠懸野(かさがけの)などの用水路整備や開墾に尽力した。用水路建設の費用に年......