山路 徳風(やまじ よしつぐ、宝暦11年(1761年)-文化7年1月27日(1810年3月2日))は、江戸時代後期の江戸幕府天文方。通称は才助。仙台藩小倉雅久の次男、母は湯本輝胤の娘。評定所儒者山路之徽の養子。子に山路諧孝及び奥留種敏妻ふき子(庶子、徳風曾孫彰善妻・けい子の実母)がいる。
山路 徳風(やまじ よしつぐ、宝暦11年(1761年)-文化7年1月27日(1810年3月2日))は、江戸時代後期の江戸幕府天文方。通称は才助。仙台藩小倉雅久の次男、母は湯本輝胤の娘。評定所儒者山路之徽の養子。子に山路諧孝及び奥留種敏妻ふき子(庶子、徳風曾孫彰善妻・けい子の実母)がいる。