山縣 周南(やまがた しゅうなん、貞享4年(1687年) - 宝暦2年8月12日(1752年9月19日))は江戸時代中期の儒学者。荻生徂徠の高弟であり、長州藩藩校・明倫館の二代目学頭。漢詩、国史に精通し、教育者としても名声を博した。名は孝孺(こうじゅ)。周南と号する。字は次公、少介。徂徠学派は中国風に名乗る風習があり縣次公、縣孝孺などと称した。
山縣 周南(やまがた しゅうなん、貞享4年(1687年) - 宝暦2年8月12日(1752年9月19日))は江戸時代中期の儒学者。荻生徂徠の高弟であり、長州藩藩校・明倫館の二代目学頭。漢詩、国史に精通し、教育者としても名声を博した。名は孝孺(こうじゅ)。周南と号する。字は次公、少介。徂徠学派は中国風に名乗る風習があり縣次公、縣孝孺などと称した。