画像引用元: www.famitsu.com山田有親
推定知名度0.01%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
山田 有親(やまだ ありちか、? - 天文2年12月24日(1534年1月8日))は戦国時代の薩摩国の武将。受領名は式部少輔。父は山田有俊。妻は市来家親の娘。子は山田有徳、山田有守、山田有明。薩摩の山田氏は元は平氏で、武蔵有国の子である有貫(有実とも)が文治年間に薩摩国へ下向し、日置郡山田の地を領してより山田氏を名乗った。有親は有貫より数えて12代目で、天文年間の初めに薩州島津家の島津実久に与し、島津忠良・島津貴久父子に反目した。天文2年12月2日、有親は全領地を献上した上で忠良に降伏する。忠良もこれを容れ、山田のみは領有を許した。しかし重臣である鎌田政年・阿多加賀守(阿多加賀守時成の子)らが、有親は気骨があり本当に心服したとは思われず、二心ある者を置いていては家の為にならないと諫言したため、忠良もこれを容れて有親に切腹を命じ、有親もこの命に服した。法名は「孝山忠公庵主」。その後、忠良は切腹を命じたことを後悔し、有親の嫡子・有徳を召し出して山田の領地を継がせると共に、有親を多聞天として伊作多宝寺(鹿児島県日置市吹上町)の毘沙門堂に祀った。
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