山本 弦堂(やまもと げんどう、文政6年6月8日(1823年7月15日) - 明治6年(1873年)7月19日)は幕末の医者、儒学者、本草学者。字は秀夫、通称は秀五郎、名は実慶、別号は帰読軒。山本亡羊三男。京都で医業を営んだ後、典薬寮、大学寮、太政官に出仕した。
山本 弦堂(やまもと げんどう、文政6年6月8日(1823年7月15日) - 明治6年(1873年)7月19日)は幕末の医者、儒学者、本草学者。字は秀夫、通称は秀五郎、名は実慶、別号は帰読軒。山本亡羊三男。京都で医業を営んだ後、典薬寮、大学寮、太政官に出仕した。