山川 朝信(やまかわ とものぶ、生没年不詳)は、安土桃山時代の武将、大名。下野国山川(現足利市山川町)領主。民部少輔。山川家は代々結城家の重臣であり、朝信は結城晴朝に仕えた。天正18年(1590年)の小田原征伐後豊臣秀吉に2万石の所領を安堵される。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは徳川方に付き、結城秀康に従い上杉に備えた。しかし、慶長6年8月、上杉と内通していたことが発覚して改易となった。その後は、晴朝の養子の結城秀康に仕えたという。category:戦国武将category:織豊政権の大名Category:生没年不詳
山川 朝信(やまかわ とものぶ、生没年不詳)は、安土桃山時代の武将、大名。下野国山川(現足利市山川町)領主。民部少輔。山川家は代々結城家の重臣であり、朝信は結城晴朝に仕えた。天正18年(1590年)の小田原征伐後豊臣秀吉に2万石の所領を安堵される。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは徳川方に付き、結城秀康に従い上杉に備えた。しかし、慶長6年8月、上杉と内通していたことが発覚し......