山崎城(やまざきじょう)は、播磨国宍粟郡山崎(現在の兵庫県宍粟市)にあった日本の城(平山城)。別名:鹿沢城・山崎陣屋。中世後期の山崎の地には赤松氏傘下の釜内氏が篠の丸山に築いた篠の丸城があったが、1580年(天正8年)に羽柴秀吉によって攻め落とされた。その後、神子田正治・黒田孝高・木下勝俊が城主となった。木下勝俊時代の1587年(天正15年)に篠の丸城の南側、現在の山崎城の場所である鹿沢の地に城を築いたとされているが、鹿沢には羽柴氏以前より城砦があったとする説もある。本格的な城郭が建築されたのは、1615年(元和元年)に池田輝政の子輝澄が山崎3万8千石で入......
山崎城(やまざきじょう)は、播磨国宍粟郡山崎(現在の兵庫県宍粟市)にあった日本の城(平山城)。別名:鹿沢城・山崎陣屋。中世後期の山崎の地には赤松氏傘下の釜内氏が篠の丸山に築いた篠の丸城があったが、1580年(天正8年)に羽柴秀吉によって攻め落とされた。その後、神子田正治・黒田孝高・木下勝俊が城主となった。木下勝俊時代の1587年(天正15年)に篠の丸城の南側、現在の山崎城の場所で......