山口 菅三(やまぐち すがぞう 1884年-1971年)は日本の実業家。滋賀県東浅井郡小谷村大字河毛の造り酒屋、山口嘉左衛門の次男として生まれた。「元イマン居留民会長 服部富造君」西川太治郎編纂(昭和13年)、「世界史の中の一億人の昭和史 ロシア革命・大正デモクラシー」毎日新聞社刊によれば、1900年服部富造は親戚の山口家次男山口菅三を預かり服部商店内で、菅三を含めた5人の日本の若者への「海外版 松下村塾」とも言える教育が始まった。この時菅三は16歳であった。日中は「服部商店」で仕事を通じて貿易と商売を学び、夜は夕食後8時から深夜12時まで連日主人服部富造......
山口 菅三(やまぐち すがぞう 1884年-1971年)は日本の実業家。滋賀県東浅井郡小谷村大字河毛の造り酒屋、山口嘉左衛門の次男として生まれた。「元イマン居留民会長 服部富造君」西川太治郎編纂(昭和13年)、「世界史の中の一億人の昭和史 ロシア革命・大正デモクラシー」毎日新聞社刊によれば、1900年服部富造は親戚の山口家次男山口菅三を預かり服部商店内で、菅三を含めた5人の日本の......