山口 弘務(やまぐち ひろちか、1757年12月6日(宝暦7年10月25日)- 1787年11月29日(天明7年10月20日))は、常陸牛久藩の第7代藩主。越後新発田藩主・溝口直温の七男。母は杉浦豊。正室は山口弘倉の娘(山口弘道の養女)。側室もいたという。官位は従五位下、伊豆守。安永9年(1780年)10月29日、弘道の養嗣子となり、その養女(姪)を正室として迎えた。天明3年(1783年)の弘道の死去により跡を継いだが、家督相続から4年後の天明7年(1787年)10月20日、31歳で死去した。嗣子がなく、家督は弘道の長男・弘致が継ぐこととなった。法号は剣外......
山口 弘務(やまぐち ひろちか、1757年12月6日(宝暦7年10月25日)- 1787年11月29日(天明7年10月20日))は、常陸牛久藩の第7代藩主。越後新発田藩主・溝口直温の七男。母は杉浦豊。正室は山口弘倉の娘(山口弘道の養女)。側室もいたという。官位は従五位下、伊豆守。安永9年(1780年)10月29日、弘道の養嗣子となり、その養女(姪)を正室として迎えた。天明3年(1......