山口 修弘(やまぐち ながひろ、生年不詳 - 慶長5年8月3日(1600年9月10日))は、戦国時代後期から江戸時代初期の大名。山口宗永の長男。弟に山口弘定。右京亮(右京進)。豊臣秀吉に仕え、文禄3年(1594年)には越前で1万3000石を領していたが、慶長4年(1599年)に同石高にて加賀江沼郡へ転封された。長刀の達人。関ヶ原の戦いでは、父とともに西軍に属する。慶長5年7月26日に加賀金沢の前田利長は約20000の大軍を率いて金沢城を出撃し、西軍の丹羽長重の拠る小松城を攻撃するかに見えたが、急遽、これを避けて8月1日に加賀松山城に入城した。山口宗永はその......
山口 修弘(やまぐち ながひろ、生年不詳 - 慶長5年8月3日(1600年9月10日))は、戦国時代後期から江戸時代初期の大名。山口宗永の長男。弟に山口弘定。右京亮(右京進)。豊臣秀吉に仕え、文禄3年(1594年)には越前で1万3000石を領していたが、慶長4年(1599年)に同石高にて加賀江沼郡へ転封された。長刀の達人。関ヶ原の戦いでは、父とともに西軍に属する。慶長5年7月26......