屠 寄(と き、''Tu Ji''、1856年 - 1921年)。字は敬山または景山。清末から中華民国にかけての歴史家、地理学者。江蘇省武進出身。1888年、張之洞の幕下に入り、広東輿図局総纂となって『広東輿地図』を編集し、併せて広雅書局編審となった。1892年に進士となり、翰林院庶吉士、浙江省淳安県知県、工部候補主事を歴任した。1895年、欽差大臣延茂之の招きに応じて黒龍江に赴き、10月にはチチハルに到着した。1896年、延茂之は北京に戻ることとなったが、会典館に黒龍江の地図の製作の必要性を訴えた。黒龍江将軍の恩沢は屠寄を黒龍江輿図総纂として留め置き、測......
屠 寄(と き、''Tu Ji''、1856年 - 1921年)。字は敬山または景山。清末から中華民国にかけての歴史家、地理学者。江蘇省武進出身。1888年、張之洞の幕下に入り、広東輿図局総纂となって『広東輿地図』を編集し、併せて広雅書局編審となった。1892年に進士となり、翰林院庶吉士、浙江省淳安県知県、工部候補主事を歴任した。1895年、欽差大臣延茂之の招きに応じて黒龍江に赴......