少帝(しょうてい)は、南朝宋の第2代皇帝。姓は劉、名は義符、小字は車兵。406年、劉裕と張夫人のあいだの長男として京口で生まれた。415年、豫章公世子に立てられた。416年12月、宋公世子となった。419年12月、宋王太子となった。420年6月に武帝(劉裕)が皇帝に即位すると、8月に義符は皇太子として立てられた。422年5月、武帝が死去すると、義符が皇帝として即位した。中書監の傅亮、司空の徐羨之、領軍将軍謝晦らが少帝(義符)を補佐した。また武帝の死を聞いて北魏の軍が侵攻してきたが、423年4月に檀道済が北伐して虎牢で魏軍を撃破した。少帝は武帝の喪中にあって......
少帝(しょうてい)は、南朝宋の第2代皇帝。姓は劉、名は義符、小字は車兵。406年、劉裕と張夫人のあいだの長男として京口で生まれた。415年、豫章公世子に立てられた。416年12月、宋公世子となった。419年12月、宋王太子となった。420年6月に武帝(劉裕)が皇帝に即位すると、8月に義符は皇太子として立てられた。422年5月、武帝が死去すると、義符が皇帝として即位した。中書監の傅......