小笠原 長秀(おがさわら ながひで)は、室町時代の武将、守護大名。信濃守護。小笠原長基の次男。長将の弟、政康の兄。幼名は豊若丸。初めは上洛して将軍足利義満に出仕した。明徳3年/元中9年(1392年)、相国寺の落慶供養では先陣随兵を務めている。応永6年(1399年)の応永の乱では畠山基国に従って堺を攻め、同年、信濃守護に補任された。入部に先立ち、将軍足利義持は水内郡太田荘領家職について、押領人を退けるよう御教書を発した。応永7年(1400年)、京都から下向し、国衙の後庁のあった善光寺に入部したが、国人に対する排斥と守護権力の強化は大いに反感を買い、有力武将や......
小笠原 長秀(おがさわら ながひで)は、室町時代の武将、守護大名。信濃守護。小笠原長基の次男。長将の弟、政康の兄。幼名は豊若丸。初めは上洛して将軍足利義満に出仕した。明徳3年/元中9年(1392年)、相国寺の落慶供養では先陣随兵を務めている。応永6年(1399年)の応永の乱では畠山基国に従って堺を攻め、同年、信濃守護に補任された。入部に先立ち、将軍足利義持は水内郡太田荘領家職につ......