画像引用元: upload.wikimedia.org小笠原貞経
推定知名度0.03%15〜75歳男女
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小笠原 貞経(おがさわら さだつね、1543年(天文12年) - 1614年4月27日(慶長19年3月19日))は、戦国武将、江戸幕府旗本。赤沢経智の三男。母は小笠原氏家臣・島館入道喜仙の娘。妻は相馬氏家臣・黒木修理進某の娘。子に経治、赤沢忠常、赤沢豊経、赤沢守経らがいる。初名は経直。通称は仁徳丸、源次郎、伊豆守、左兵衛、民部。当初は宗家の小笠原長時に仕えたが、武田信玄により信濃から追放されると、陸奥国中村の相馬盛胤、義胤父子に招聘された。相馬氏が伊達氏の坂元城を攻めた際、一番乗りの軍功を挙げ、鎧作原の戦いでも首級を挙げた。元亀3年(1572年)6月2日、長時から小笠原流弓馬術礼法の道統を託され、天正3年(1575年)8月12日には師範の許状を受けた。慶長9年(1604年)徳川家康に拝謁し、のち徳川秀忠に仕え、廩米500俵を賜り、赤沢から小笠原に複姓した。慶長19年(1614年)没。享年72。法名は常健。仏門に入った後は治部入道丹斎玄通を号した。
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