小笠原 氏興(おがさわら うじおき、享禄2年(1529年) - 永禄12年6月11日(1569年7月24日))は、戦国時代の武将。名は氏清とも。通称は彦五郎、与八郎。官位は美作守。信濃守護・小笠原長時の従兄弟である小笠原春義(春儀、春茂)の息子で、高天神小笠原家の当主。子に小笠原信興(長忠、氏助、氏儀)がいる。母は今川氏親の娘。氏興は当初今川義元に仕えていた。義元が桶狭間の戦いで尾張の織田信長に攻められ戦死したため、義元嫡子・今川氏真が家督を嗣ぐ。氏真は凡庸な当主だったために甲斐の武田信玄に甲相駿三国同盟を破棄されて駿河に攻められ、さらに三河の徳川家康まで......
小笠原 氏興(おがさわら うじおき、享禄2年(1529年) - 永禄12年6月11日(1569年7月24日))は、戦国時代の武将。名は氏清とも。通称は彦五郎、与八郎。官位は美作守。信濃守護・小笠原長時の従兄弟である小笠原春義(春儀、春茂)の息子で、高天神小笠原家の当主。子に小笠原信興(長忠、氏助、氏儀)がいる。母は今川氏親の娘。氏興は当初今川義元に仕えていた。義元が桶狭間の戦いで......