小笠原 吉光(おがさわら よしみつ、生年不明 - 慶長12年3月5日(1607年4月1日))は、江戸時代前期の武士。名は忠重(ただしげ)ともいう。尾張徳川家家臣。下総国佐倉藩の嫡子。小笠原吉次の長男。弟に長光。小笠原監物。父が徳川家康の四男・松平忠吉の付家老となったため、吉光も忠吉に仕えた。男色にて寵愛され、武に優れた家臣団を与えられ一万四千石を知行していた。石川吉信・稲垣将監らと共に藩政を取り仕切っていたが、突然出奔し、奥州松島の寺に蟄居した。しかし、翌年の慶長12年(1607年)に忠吉が没したとの報告を受けた吉光は、松島から四日で江戸に急行した。前日に......
小笠原 吉光(おがさわら よしみつ、生年不明 - 慶長12年3月5日(1607年4月1日))は、江戸時代前期の武士。名は忠重(ただしげ)ともいう。尾張徳川家家臣。下総国佐倉藩の嫡子。小笠原吉次の長男。弟に長光。小笠原監物。父が徳川家康の四男・松平忠吉の付家老となったため、吉光も忠吉に仕えた。男色にて寵愛され、武に優れた家臣団を与えられ一万四千石を知行していた。石川吉信・稲垣将監ら......