小田 持家(おだ もちいえ、応永9年(1402年) - 文明13年(1481年))は、室町時代の人物。常陸小田氏当主。小田治朝の子。小田朝久、倉持治光(くらもち はるみつ)、女子(結城氏広妻)の父。幼名は金寿丸。通称は太郎。讃岐守。治部少輔。父は早くに亡くなり、祖父の小田孝朝に養育された。のち元服時に鎌倉公方足利持氏より偏諱を受けて持家と名乗る。室町時代の小田氏は関東の政治においては非主流派であり、それに不満な持家は上杉禅秀の乱の際には上杉氏憲(禅秀)に味方し、禅秀らの敗北の後は降参したものの足利持氏により所領の一部を没収され、小田氏をさらに衰退させること......
小田 持家(おだ もちいえ、応永9年(1402年) - 文明13年(1481年))は、室町時代の人物。常陸小田氏当主。小田治朝の子。小田朝久、倉持治光(くらもち はるみつ)、女子(結城氏広妻)の父。幼名は金寿丸。通称は太郎。讃岐守。治部少輔。父は早くに亡くなり、祖父の小田孝朝に養育された。のち元服時に鎌倉公方足利持氏より偏諱を受けて持家と名乗る。室町時代の小田氏は関東の政治におい......