小河原 政徳(おがわら まさのり、文化14年(1817年) - 慶応4年4月3日(1868年4月25日))は、幕末の上野国前橋藩の家老。通称は左宮。字を子辰。小河原 左宮(おがわら さみや)として知られる。寛政末年に外国船が来航するようになると、江戸湾防衛の必要性から上総国富津にもいわゆる海防台場・海防陣屋が築かれた(1801年)。その後、白河藩、幕府、忍藩、会津藩、柳川藩、二本松藩の手を経て、幕末から戊辰戦争がはじまった頃にこの富津陣屋の要害を守備していたのは、上総国内に飛び領4万5千石をもっていた前橋藩だった。鳥羽・伏見の戦いの後江戸に帰還した徳川慶喜......
小河原 政徳(おがわら まさのり、文化14年(1817年) - 慶応4年4月3日(1868年4月25日))は、幕末の上野国前橋藩の家老。通称は左宮。字を子辰。小河原 左宮(おがわら さみや)として知られる。寛政末年に外国船が来航するようになると、江戸湾防衛の必要性から上総国富津にもいわゆる海防台場・海防陣屋が築かれた(1801年)。その後、白河藩、幕府、忍藩、会津藩、柳川藩、二本......