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小沢治三郎

推定知名度11.21%15〜75歳男女
推定知名度11.33%20〜35歳男女

小沢 治三郎(おざわ じさぶろう、1886年(明治19年)10月2日 - 1966年(昭和41年)11月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校37期生。第31代となる最後の連合艦隊司令長官を務めた。1886年(明治19年)宮崎県児湯郡高鍋町で元高鍋藩士の父・小沢寅太郎と母・ヤツの次男として生まれる。宮崎中学(現・県立宮崎大宮高校)に在学中、不良青年と争いになり柔道の投げ技で撃退したが、暴力沙汰として退学処分となる。陸軍軍人だった兄・宇一郎の上官・牛島貞雄から日露戦争の戦場満州より「過ちを改むるに憚ること勿れ」(論語 学而第一 8からの引用)の手紙を送られた事をきっかけに上京し、1905年に成城中学校へ転入した。小沢はこの手紙を終生大切に保管し、またその言葉を座右の銘とした。小沢は東京でも喧嘩沙汰を起こし、下駄で踏みつけ相手は降参したが、その相手は後の柔道家・三船久蔵であった。

過去の推移