小山 朝政(おやま ともまさ)は平安時代末期から鎌倉時代初期の武将である。源頼朝に挙兵の頃から仕え、播磨国守護に補されたほか、下野守にも任ぜられたとされるが、朝政の晩年の職位は「左衛門尉」や「判官」でありこれらは従六位か従七位の官位相当であること、また父・政光の位階も正七位下であったことなどから、卒年に従五位下下野守であったという『吾妻鏡』の記載は誤記の疑いがある。
小山 朝政(おやま ともまさ)は平安時代末期から鎌倉時代初期の武将である。源頼朝に挙兵の頃から仕え、播磨国守護に補されたほか、下野守にも任ぜられたとされるが、朝政の晩年の職位は「左衛門尉」や「判官」でありこれらは従六位か従七位の官位相当であること、また父・政光の位階も正七位下であったことなどから、卒年に従五位下下野守であったという『吾妻鏡』の記載は誤記の疑いがある。