小寺 源吾(こでら げんご、1879年(明治12年)9月7日 - 1959年(昭和34年)6月15日)は日本の実業家。大日本紡績元社長。岐阜県出身。明治36年尼崎紡績に入社し、大正7年大日本紡績取締役、常務を経て昭和11年社長、21年会長に就任。同年に辞任し、相談役に就任した。この間、日華産業代表取締役、日本レイヨン、新日本レイヨン、国策パルプ各取締役、日伯綿花、大阪商事各監査役、興銀参与理事。日経連、大阪商工会議所顧問などを務めた。
小寺 源吾(こでら げんご、1879年(明治12年)9月7日 - 1959年(昭和34年)6月15日)は日本の実業家。大日本紡績元社長。岐阜県出身。明治36年尼崎紡績に入社し、大正7年大日本紡績取締役、常務を経て昭和11年社長、21年会長に就任。同年に辞任し、相談役に就任した。この間、日華産業代表取締役、日本レイヨン、新日本レイヨン、国策パルプ各取締役、日伯綿花、大阪商事各監査役......