寺田 臨川(てらだ りんせん、延宝6年7月8日(1678年8月24日) - 延享元年11月24日(1744年12月27日))は江戸時代中期の儒学者。本姓は源氏、通称は立革、半蔵、諱は高通、字は鳳翼、士豹。安芸国広島藩主浅野吉長に侍講し、また藩校講学所(現修道中学校・修道高等学校)で教授を務めた。著作に『諸士系譜』『臨川全集』等。
寺田 臨川(てらだ りんせん、延宝6年7月8日(1678年8月24日) - 延享元年11月24日(1744年12月27日))は江戸時代中期の儒学者。本姓は源氏、通称は立革、半蔵、諱は高通、字は鳳翼、士豹。安芸国広島藩主浅野吉長に侍講し、また藩校講学所(現修道中学校・修道高等学校)で教授を務めた。著作に『諸士系譜』『臨川全集』等。