富田 命保(とみたのぶやす、1838年10月31日(天保9年9月14日) - 1914年(大正3年)10月23日)は、江戸幕府の幕臣、ならびに明治時代の官僚。幕臣時代から対外関係の職務に就き、明治政府では岩倉使節団の一員となり、後に農商務省工務局長を務めた。江戸期には「富田達三」(とみたとうぞう)、明治以降は「冨田冬三」(とみたとうぞう)を名乗った。文部大臣や早稲田大学総長を務めた高田早苗は、富田の甥(姉の子)に当たる。
富田 命保(とみたのぶやす、1838年10月31日(天保9年9月14日) - 1914年(大正3年)10月23日)は、江戸幕府の幕臣、ならびに明治時代の官僚。幕臣時代から対外関係の職務に就き、明治政府では岩倉使節団の一員となり、後に農商務省工務局長を務めた。江戸期には「富田達三」(とみたとうぞう)、明治以降は「冨田冬三」(とみたとうぞう)を名乗った。文部大臣や早稲田大学総長を務め......