富樫 昌家(とがし まさいえ、生年不詳-元中4年/嘉慶元年(1387年))は、南北朝時代の武将、守護大名。富樫介。富樫氏春の長男で、弟に富樫満家(満春の父)。子に富樫詮親。幼名は竹童丸。父氏春が病死すると、その後継として加賀の守護を継いだが幼少であったために一族の富樫用家の補佐を受けた。古典『太平記』によると、竹童丸が幼少であることに乗じて近江の佐々木道誉が婚姻関係のある斯波氏に加賀の守護職を奪わせることを画策し、細川清氏によって阻止された、とある(後に清氏は道誉の讒言によって失脚し、滅ぼされた)。正平21年/貞治5年(1366年)に元服し、昌家と名乗る。......
富樫 昌家(とがし まさいえ、生年不詳-元中4年/嘉慶元年(1387年))は、南北朝時代の武将、守護大名。富樫介。富樫氏春の長男で、弟に富樫満家(満春の父)。子に富樫詮親。幼名は竹童丸。父氏春が病死すると、その後継として加賀の守護を継いだが幼少であったために一族の富樫用家の補佐を受けた。古典『太平記』によると、竹童丸が幼少であることに乗じて近江の佐々木道誉が婚姻関係のある斯波氏に......