富樫 家俊(とがし いえとし、生没年不詳)は、安土桃山時代の武将。富樫泰俊の三男。押野後藤家の祖という。1574年に越前国金津にて、父の富樫泰俊とその子である富樫稙春、天易侍者は討死したが、家俊だけは逃げ延びて、名を後藤弥右衛門と改めて加賀国押野村字清水の郷士になったという。その後、佐久間盛政に仕えて戦功を挙げ、1581年に300石の領地を与えられた。子の藤右衛門は1616年に加賀藩の十村制|十村肝煎となり、子孫は代々その役目を担い、維新後も旧押野村(現金沢市・野々市市)の村長を務めたという。
富樫 家俊(とがし いえとし、生没年不詳)は、安土桃山時代の武将。富樫泰俊の三男。押野後藤家の祖という。1574年に越前国金津にて、父の富樫泰俊とその子である富樫稙春、天易侍者は討死したが、家俊だけは逃げ延びて、名を後藤弥右衛門と改めて加賀国押野村字清水の郷士になったという。その後、佐久間盛政に仕えて戦功を挙げ、1581年に300石の領地を与えられた。子の藤右衛門は1616年に加......