宮菊姫(みやぎくひめ、生没年未詳)は、平安時代末期、鎌倉時代初期の女性。源義賢の娘。源義仲(木曾義仲)の妹。寿永3年(1184年)1月に源義仲が源頼朝の軍勢によって滅ぼされると、義仲の妹である宮菊姫は、頼朝の妻北条政子の猶子として美濃国に一村を与えられて在国していた。そのうち在京するようになり、付き従う周辺の者が政子猶子である宮菊の威を借りて権門の荘園や公領を横領する押妨を行った。文治元年(1185年)3月、宮菊周辺の悪評が鎌倉に届き、頼朝は畿内の御家人に押妨を行った周辺の者を捕らえるように命じて朝廷には「物狂いの女房」の仕業であるとして弁明し、源氏一門へ......
宮菊姫(みやぎくひめ、生没年未詳)は、平安時代末期、鎌倉時代初期の女性。源義賢の娘。源義仲(木曾義仲)の妹。寿永3年(1184年)1月に源義仲が源頼朝の軍勢によって滅ぼされると、義仲の妹である宮菊姫は、頼朝の妻北条政子の猶子として美濃国に一村を与えられて在国していた。そのうち在京するようになり、付き従う周辺の者が政子猶子である宮菊の威を借りて権門の荘園や公領を横領する押妨を行った......