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宮城与徳

推定知名度3.66%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

宮城 与徳(正字:宮城 與德、みやぎ よとく、1903年2月10日 - 1943年8月2日)は、日本の洋画家、左翼運動家、社会運動家。「南龍一」と名乗り、ゾルゲ諜報団に参加した。ソ連のスパイとしてゾルゲ事件に関与して逮捕され、拘留先で病死した。沖縄県国頭郡名護町東江(現・名護市)に生まれる。父の与正は1904年にはフィリピンで道路工事に従事し、1905年にはハワイ、さらに1906年には渡米してカリフォルニア州に移住した。このため、母方の祖父母に預けられて育つ。小学校時代、担任教師の影響で絵に興味を持つ。高等小学校1年生の時に、描いた絵が東京の展覧会に入選した。上級学校に進学する意向があり、宮城自身は美術工芸の専門講義のあった沖縄県立工業徒弟学校(現・沖縄県立沖縄工業高等学校)を希望していたが、学業成績がよかったことから学費不要で「出世コース」とされた沖縄県師範学校を周囲に勧められ、1917年に予科に入学。しかし、結核に罹患したことから本科に進んだ1918年に中途退学した。

過去の推移