宍戸 弥四郎(ししど やしろう、天保4年1月14日(1833年3月5日) - 文久3年9月24日(1863年11月5日))は幕末の志士。諱は昌明、号は道一軒。天保4年(1833年)、刈谷藩士宍戸弥助の六男として刈谷に生まれる。天誅組三総裁の一人松本奎堂とは竹馬の友である。この二人は譜代藩出身の勤皇志士という点で異色の経歴である。江戸在番のおり、窪田清音の門人として山鹿流兵法を学ぶ。生来豪放磊落で、顔は疱瘡の跡が残るあばた面であったが笑うと愛嬌があり、皆から好かれる性格であった。また小柄であったが、極めて頑強な身体と脚力を持っていた。文久3年(1863年)、......
宍戸 弥四郎(ししど やしろう、天保4年1月14日(1833年3月5日) - 文久3年9月24日(1863年11月5日))は幕末の志士。諱は昌明、号は道一軒。天保4年(1833年)、刈谷藩士宍戸弥助の六男として刈谷に生まれる。天誅組三総裁の一人松本奎堂とは竹馬の友である。この二人は譜代藩出身の勤皇志士という点で異色の経歴である。江戸在番のおり、窪田清音の門人として山鹿流兵法を学ぶ......