完顔 秉徳(かんがん へいとく、? - 1150年)は、金の宗室。実力者だった有力皇族の秦王・粘没喝(宗翰)の孫で、父は設野馬(漢名は真珠)。女真名は乙卒。熙宗の治世下で西南路招討使となる。後に汴京留守・兵部尚書に昇進した。皇統6年(1146年)に参知政事に昇り、のち平章政事に昇った。やがて迪古乃(後の廃帝海陵王)、太宗の孫である烏帯(宗言)と熙宗の婿である唐括弁らと共に熙宗の廃立を謀り、熙宗を寝殿で惨殺させた。秉徳の本心は自身の即位であったが、僕散思恭の脅迫で海陵王の擁立に回った。海陵王が即位すると、この功績で左丞相・侍中・左副元帥に大累進し、蕭王に封ぜ......
完顔 秉徳(かんがん へいとく、? - 1150年)は、金の宗室。実力者だった有力皇族の秦王・粘没喝(宗翰)の孫で、父は設野馬(漢名は真珠)。女真名は乙卒。熙宗の治世下で西南路招討使となる。後に汴京留守・兵部尚書に昇進した。皇統6年(1146年)に参知政事に昇り、のち平章政事に昇った。やがて迪古乃(後の廃帝海陵王)、太宗の孫である烏帯(宗言)と熙宗の婿である唐括弁らと共に熙宗の廃......