宋皇后(そうこうごう、? - 178年)は、中国後漢の霊帝の最初の皇后で廃后。扶風平陵(咸陽市)の出身。父は宋酆。建寧3年(170年)、後宮に入り、貴人となった。翌年、皇后に立てられた。気弱で、また皇帝の寵愛がなかったため、妃嬪たちはみな宋氏をさんざんけなした。宦官の王甫は皇族の渤海王劉悝を調略により死に追いやったが、劉悝の妃の宋氏は皇后と同族であった。そのため報復を恐れた王甫に讒言され、宋皇后は178年に無実の罪を着せられた上で廃位され、三族皆殺しの刑に処せられた。宋氏自身もほどなく急死した。他の宦官たちは同情し、金を出しあって宋氏を簡素に埋葬した。
宋皇后(そうこうごう、? - 178年)は、中国後漢の霊帝の最初の皇后で廃后。扶風平陵(咸陽市)の出身。父は宋酆。建寧3年(170年)、後宮に入り、貴人となった。翌年、皇后に立てられた。気弱で、また皇帝の寵愛がなかったため、妃嬪たちはみな宋氏をさんざんけなした。宦官の王甫は皇族の渤海王劉悝を調略により死に追いやったが、劉悝の妃の宋氏は皇后と同族であった。そのため報復を恐れた王甫に......