安部 鹿蔵(あべ しかぞう)北九州生まれ国際放映の初代社長若かりし頃、北九州での激しい労働運動の指導者として官憲や資本家の用心棒であったヤクザと対峙する渦中に身を投じていた。資本家との交渉のために16歳頃に数名の仲間と労働組合を作る、後に自身も当時を振り返り無鉄砲というか向こう見ずというか我ながら呆れかえると語っている。東条英機の憲兵政治と直接対決した男でもある。社会運動家の浅原健三の同志として知られ、浅原健三が亡くなって後に彼の伝記を映画化しようと奮闘したが、原作者の福島氏が原稿完成前に亡くなられたことで頓挫した。
安部 鹿蔵(あべ しかぞう)北九州生まれ国際放映の初代社長若かりし頃、北九州での激しい労働運動の指導者として官憲や資本家の用心棒であったヤクザと対峙する渦中に身を投じていた。資本家との交渉のために16歳頃に数名の仲間と労働組合を作る、後に自身も当時を振り返り無鉄砲というか向こう見ずというか我ながら呆れかえると語っている。東条英機の憲兵政治と直接対決した男でもある。社会運動家の浅原......