安保 実光(あぼ さねみつ、永治2年(1142年)? - 承久3年(1221年))は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武蔵国丹党の武将。通称二郎。刑部丞。没した歳は80歳とも伝えられる。丹党系安保(阿保)氏の祖。父は秩父(丹)綱房(のちの新里恒房)で、その次男として二郎実光は生まれる。その後、父から武蔵国賀美郡(現児玉郡西部域)の安保郷(現神川町元阿保)の地を譲られ、居住し、安保(阿保)氏を称した。子息は、安保五郎左衛門尉実房、安保六郎兵衛光重、安保七郎左衛門尉実員などで、この内、五郎実房と六郎光重は、建久元年(1190年)の源頼朝の入洛(京へ行く)......
安保 実光(あぼ さねみつ、永治2年(1142年)? - 承久3年(1221年))は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武蔵国丹党の武将。通称二郎。刑部丞。没した歳は80歳とも伝えられる。丹党系安保(阿保)氏の祖。父は秩父(丹)綱房(のちの新里恒房)で、その次男として二郎実光は生まれる。その後、父から武蔵国賀美郡(現児玉郡西部域)の安保郷(現神川町元阿保)の地を譲られ、居住し......