孝端顕皇后(こうたんけんこうごう、1564年11月7日(嘉靖43年10月4日) - 1620年5月7日(万暦48年4月6日))は、明の万暦帝の皇后である。姓諱は王 喜姐(おう きしゃ)。浙江省|浙江餘姚の出身。従九品文思院副使の王偉の長女として生まれた。万暦6年(1577年)、選抜されて皇后となった。父の王偉は伯爵(永年伯)に封じられた。真赤の服を好み、後宮の主として聡明かつ謹厳な性格で、極めて有能であった。万暦帝の文書の収集、整理、皇太后たちへの孝事をこなし、太子朱常洛(のちの泰昌帝、孝靖太后|王皇貴妃の子)を支持し、皇帝の寵妃(孝寧太皇太后|鄭皇貴妃)......
孝端顕皇后(こうたんけんこうごう、1564年11月7日(嘉靖43年10月4日) - 1620年5月7日(万暦48年4月6日))は、明の万暦帝の皇后である。姓諱は王 喜姐(おう きしゃ)。浙江省|浙江餘姚の出身。従九品文思院副使の王偉の長女として生まれた。万暦6年(1577年)、選抜されて皇后となった。父の王偉は伯爵(永年伯)に封じられた。真赤の服を好み、後宮の主として聡明かつ謹厳......