子張(しちょう 紀元前503年 - ?)は孔子の弟子の一人。本名は顓孫師(せんそん し)。顓孫が氏、師が名、子張が字。孔門十哲のなかに子張は含められていないが、『論語』では子路・子貢に次いで出現回数が多く、子張篇の冒頭3節では子張の言葉を伝えているなど、きわめて重要な弟子であったと考えられる。また、『韓非子』顕学篇には儒家八派のひとつとして「子張の儒」があったことを述べている。同じ学派は『荀子』非十二子篇では「子張氏の賤儒」と非難されている。『礼記』檀弓上には、子張の子の申祥、および子張の弟子の公明儀の名が見える。
子張(しちょう 紀元前503年 - ?)は孔子の弟子の一人。本名は顓孫師(せんそん し)。顓孫が氏、師が名、子張が字。孔門十哲のなかに子張は含められていないが、『論語』では子路・子貢に次いで出現回数が多く、子張篇の冒頭3節では子張の言葉を伝えているなど、きわめて重要な弟子であったと考えられる。また、『韓非子』顕学篇には儒家八派のひとつとして「子張の儒」があったことを述べている。同......