妻鳥 采女(めんどり うねめ、生没年不詳)は、川之江仏殿城の城主を勤めた武将。諱は光家とも友春とも。長宗我部氏に内通し、河野氏に反旗を翻す。その後、河野氏の直命を受けた河上安勝が手薄だった川之江城を攻め落城。その時、一族の約50名が殺される。1585年(天正十三年)までは生存していたものと考えられる。また、「…伊予の国の住人、目高(妻鳥)采女亮(正)友春と云う武者、翔鳥をも射る鉄砲の上手なれば…」とある。妻鳥「めんどり」の名は、旧川之江市妻鳥町として残っている。なお、墓地は、四国中央市寒川の大倉山にある。
妻鳥 采女(めんどり うねめ、生没年不詳)は、川之江仏殿城の城主を勤めた武将。諱は光家とも友春とも。長宗我部氏に内通し、河野氏に反旗を翻す。その後、河野氏の直命を受けた河上安勝が手薄だった川之江城を攻め落城。その時、一族の約50名が殺される。1585年(天正十三年)までは生存していたものと考えられる。また、「…伊予の国の住人、目高(妻鳥)采女亮(正)友春と云う武者、翔鳥をも射る鉄......