妥 明(だ めい、''Tuo Ming''、1788年頃 ‐ 1873年)、字は得璘。清末の東トルキスタンでのムスリム蜂起の指導者。甘粛省西寧妥家溝出身。イスラム教の中でもジャフリーヤ教団(哲赫林耶、Jahriya)に属しており、金積堡の馬化龍・西寧の馬桂源・粛州の馬文禄らと交わった。1862年、妥明は嘉峪関を出て東トルキスタンに入り、ジャフリーヤの布教を行うかたわらウルムチ参将の索煥章とともに反清蜂起の計画を練った。当時のウルムチでは都統平瑞が重税を課しており、民衆の不満が高まっていた。その機に乗じて1864年6月12日、妥明と索煥章はウルムチ漢城で蜂起......
妥 明(だ めい、''Tuo Ming''、1788年頃 ‐ 1873年)、字は得璘。清末の東トルキスタンでのムスリム蜂起の指導者。甘粛省西寧妥家溝出身。イスラム教の中でもジャフリーヤ教団(哲赫林耶、Jahriya)に属しており、金積堡の馬化龍・西寧の馬桂源・粛州の馬文禄らと交わった。1862年、妥明は嘉峪関を出て東トルキスタンに入り、ジャフリーヤの布教を行うかたわらウルムチ参将......