画像引用元: img5.blogs.yahoo.co.jp奇皇后
推定知名度1.67%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
奇皇后(きこうごう、1315年頃 - 1369年もしくは1370年以降)は、14世紀の元朝最後の皇帝である順帝トゴン・テムルの皇后。モンゴル名を表した漢字表記は完者忽都(Ölǰei Qutuq オルジェイ・クトゥク)皇后。諡号は普賢菩薩熟成皇后。高麗出身で、北元皇帝アユルシリダラを生んだ。モンゴル帝国の高麗征服以後、高麗王室は忠烈王が世子時代にモンゴル皇帝クビライの下で近衛集団であるケシクに入侍し、さらに高麗国王として退下・即位するとその公主の降嫁を受けることが習わしとなった。以後、高麗王室は元朝の皇帝家であるクビライ王家を宗主とする「高麗駙馬王家」の称号を許され、元朝を支える姻族のひとつとなった。これに伴いモンゴル皇帝や皇族の公主が歴代の高麗王に降嫁していた高麗王は、元の征東行省の長官且つ元帝の女婿、という独自の国際的地位を確保していた。高麗王家とモンゴル皇帝家との姻戚関係を結ぶことで、それまでの武臣政権時代のような有力家臣集団から高麗王家への政治的干渉を解除することにひとまず成功した。こうして高麗王国内から、ケシク要員や官吏等として元朝宮廷に出仕する王族や貴族が増加した。同時に元朝中央での動乱が高麗王室に直接影響を及ぼすようになり、忠宣王、忠粛王、忠恵王のように元朝宮廷での争乱の影響で後援する皇族の消長に伴って王位が改廃される事態が続くようになった。このような13世紀後半から14世紀前半にかけての元朝宮廷・高麗政権間の人的・政治的関係の中で出現したのが、奇皇后、「完者忽都皇后奇氏」という高麗人元室皇后である。
過去の推移
0.706
0.7507
0.8808
0.9609
0.9310
0.9211
0.9412
0.9513
1.1514
1.6715
1.6716
