大黒常是(だいこくじょうぜ)は、近世日本の銀座の吹所(ふきしょ)で極印(ごくいん)打ちを担当していた常是役所の長としての代々世襲の家職に与えられた名称である。慶長6年(1601年)、徳川家康が和泉堺の銀吹き職人である南鐐座の湯浅作兵衛に大黒常是を名乗らせたのが始まりであった。常是という名称は豊臣秀吉により堺の南鐐座の銀細工師に与えられたものであった。
大黒常是(だいこくじょうぜ)は、近世日本の銀座の吹所(ふきしょ)で極印(ごくいん)打ちを担当していた常是役所の長としての代々世襲の家職に与えられた名称である。慶長6年(1601年)、徳川家康が和泉堺の銀吹き職人である南鐐座の湯浅作兵衛に大黒常是を名乗らせたのが始まりであった。常是という名称は豊臣秀吉により堺の南鐐座の銀細工師に与えられたものであった。