大河内 顕雅(おかわち あきまさ、生没年不詳)は、室町時代前期の武将。伊勢国司北畠家の第4代当主・北畠満雅の弟。子に赤松教康室。応永19年(1412年)8月、満雅は幕府が明徳の和約に反し、北朝から南朝に皇統が譲られないことを不服とし、幕府に条件履行を迫って伊勢で挙兵、幕府方の城や北畠一族で足利方についた木造俊康を攻め落とした。そして北畠雅俊(初代坂内氏)を木造城に、実弟の顕雅を大河内城に入れた。これにより顕雅は、北畠氏庶流・大河内氏の祖となった。顕雅は、兄・満雅をよく助け活躍したが正長元年(1428年)、満雅が討ち死にすると、その子・教具はまだ7歳であった......
大河内 顕雅(おかわち あきまさ、生没年不詳)は、室町時代前期の武将。伊勢国司北畠家の第4代当主・北畠満雅の弟。子に赤松教康室。応永19年(1412年)8月、満雅は幕府が明徳の和約に反し、北朝から南朝に皇統が譲られないことを不服とし、幕府に条件履行を迫って伊勢で挙兵、幕府方の城や北畠一族で足利方についた木造俊康を攻め落とした。そして北畠雅俊(初代坂内氏)を木造城に、実弟の顕雅を大......