大掾 清幹(だいじょう きよもと、天正元年(1573年) - 天正18年(1590年))は、安土桃山時代の武将。常陸国府中城城主を代々務め、大掾満幹より続く大掾氏の最後の当主。大掾貞国(さだくに)の子。正室は真壁久幹の娘。父の死により5歳で家督を継ぐ。幼少であるため政務を行えず、叔父である竹原義国(貞国の弟)が後見した。当時の大掾氏は佐竹義重を盟主とする「東方之衆」と呼ばれる連合体に与して、小田氏治ら北条派の勢力と勢力を争っていた。成長した清幹が同じ「東方之衆」の仲間である宇都宮国綱と那須資晴の和解の仲介を試みたことが知られているが、一方で清幹自身も同じ「......
大掾 清幹(だいじょう きよもと、天正元年(1573年) - 天正18年(1590年))は、安土桃山時代の武将。常陸国府中城城主を代々務め、大掾満幹より続く大掾氏の最後の当主。大掾貞国(さだくに)の子。正室は真壁久幹の娘。父の死により5歳で家督を継ぐ。幼少であるため政務を行えず、叔父である竹原義国(貞国の弟)が後見した。当時の大掾氏は佐竹義重を盟主とする「東方之衆」と呼ばれる連合......