大島 貞薫(おおしま さだか、1806年11月20日(文化3年10月11日) - 1888年(明治21年))は、但馬国(兵庫県)出身の洋兵学者。幕末に蘭学を学び、維新後の明治初期には兵学寮で西洋式陸軍幹部の育成に貢献した。幼名は元也、後に肇。17歳で幸兵衛を名乗り、33歳で家督を継いで万兵衛と変えた。諱に忠謙、貞謙、最後に貞薫とした。他に貞右衛門と表記される場合もある。
大島 貞薫(おおしま さだか、1806年11月20日(文化3年10月11日) - 1888年(明治21年))は、但馬国(兵庫県)出身の洋兵学者。幕末に蘭学を学び、維新後の明治初期には兵学寮で西洋式陸軍幹部の育成に貢献した。幼名は元也、後に肇。17歳で幸兵衛を名乗り、33歳で家督を継いで万兵衛と変えた。諱に忠謙、貞謙、最後に貞薫とした。他に貞右衛門と表記される場合もある。