大山 綱昌(おおやま つなまさ、? - 安政3年(1856年)10月)は、薩摩藩鹿児島城下士。諱は綱昌、通称は彦八。本姓佐々木源氏の大山家に養子入りする前は西郷小兵衛と称す。養父は一代小番まで進んだが、「綱昌は出世の道を捨てて、生涯を砲術研究にゆだねる」という。ただし研究していた砲術の流派や砲術師範になったかは不明。家格は御小姓与。家督は大山彦八成美が継ぐ。
大山 綱昌(おおやま つなまさ、? - 安政3年(1856年)10月)は、薩摩藩鹿児島城下士。諱は綱昌、通称は彦八。本姓佐々木源氏の大山家に養子入りする前は西郷小兵衛と称す。養父は一代小番まで進んだが、「綱昌は出世の道を捨てて、生涯を砲術研究にゆだねる」という。ただし研究していた砲術の流派や砲術師範になったかは不明。家格は御小姓与。家督は大山彦八成美が継ぐ。